2005年7月13日 神奈川新聞
 
  〜平和の思い 歌通じ表現〜
8月6日・東京
  愛知万博(愛・地球博)でソロコンサートを開くなど、国内外で演奏活動を続けているソプラノ歌手、下垣真希さんが、八月六日午後二時から、東京・浜離宮朝日ホールで「平和のリサイタル 命かがやいて」を開く。「戦争を風化させず、命の重み、平和を希求する思いを表現したい」というオリジナル作品。
長崎原爆で被爆、十七歳で亡くなった叔父への鎮魂と、「長崎の鐘」の原作者・故永井隆博士への祈りを伝える「わが心の歌・長崎の鐘」をはじめ、愛や希望の歌を盛り込んだ「命の賛歌」など四部構成。
(以下省略)
   
     
  2005年6月10日 山陰中央新聞
 
  ◇6/10 浜田出身のソプラノ歌手 下垣真希さんに聞く◇
  浜田市出身のソプラノ歌手・下垣真希さん(名古屋市在住)はこのほど、松江市のプラバホールで初のリサイタルを開き、ふるさとやしゃぼん玉など懐かしい日本の歌を熱唱した。下垣さんに童謡の魅力や、ふるさとへの思いを聞いた。

 −歌手への夢を描くきっかけは。
「医者だった父(故人)は声楽が大好きで、毎日のように大音量でナポリ民謡などを聞いていました。それを耳にするうちに自然と歌に関心が向かいました」
 −大学を卒業後、オペラ歌手を目指してドイツに留学。そこでは挫折も味わったようですね。
 「ドイツには八年間いました。ドイツ人とは体格、体力が違いすぎました。マイクなしで二時間も歌い続ける舞台を見ていて、オペラは、私には無理と判断するしかありませんでした」
 −代わりに今の活動のヒントもつかめました。
 「ドイツにいる間、日本を遠くから見ることができ、特に日本の童謡の素晴らしさに気付かされたのです。日本の歌にはストレートに情景を歌いながら、歌詞に愛情やこまやかな気配りが盛り込まれている。国内ではドイツ歌曲に比べ、日本の曲を低く見る傾向にあり、それまでその良さに気付きませんでした」
 −海外でも下垣さんの歌う童謡が受け入れられました。
「二〇〇〇年のドイツ・ハノーバー万博閉会式で浜辺の歌を歌いました。それまでにぎやかだった一万四千人の観客が、私の歌に耳を傾けてくれました。日本の歌は世界に通用すると自信が持てました」
 −日本の歌や童謡を集めたCDもリリース。特に「長崎の鐘」に対する思いが強いようですね。
「故・永井隆博士(雲南市出身)宅に下宿し、医学を学んでいた叔父が長崎の原爆で被爆。数日後に亡くなりました。病床から平和を呼び掛けた博士や、若くして力尽きた叔父の思いを歌で伝えられたら。八月六日には東京で平和と命の大切さを訴えるコンサートを開きます」
 −島根にメッセージを。
「私の住んでいる愛知県は、伝統的に物づくりの技術やノウハウがものすごく発達した地域。同じことを今から島根県がやろうとしても難しいでしょう。でも、島根県には他県とひと味違った深い文化があります。そうした独自性に目を向け、誇りを持ってほしい」
 しもがき・まき 浜田市出身。大学卒業後ドイツ留学。その後、懐かしい日本の歌を集めたCDをリリース。全国公演では歌と語りで聴衆を魅了。平和を訴えるコンサートも開いている。愛知の教育を考える懇談会委員も務めるなど、多方面で活躍中。
   
     
  山陰中央新報2005年6月4日 明窓
 
  都会地を中心に活躍する二人のキャリアウーマン。ともに島根出身だが接点はない。脚本家にソプラノ歌手と、ジャンルも違う。その二人から全く同じ言葉を耳にしたときはたまげてしまった▼一人は益田出身の田渕久美子さん。NHKの朝ドラ「さくら」の脚本で一躍有名に。二年前、彼女はあるシナリオを温めていた。主役は小泉八雲の妻セツ。「八雲は日本の優れた精神文化を世界に紹介した。それを教えたセツに興味がある」と。が、肝心な地元の反応が鈍い。「古里の役に立ちたいのに」と言った後、勢い込んで発した言葉▼もう一人は浜田出身の下垣真希さん。声楽を学び、ドイツ国家声楽教授資格を持つ。二〇〇〇年のハノーバー万博閉幕式でアジア代表として「浜辺の歌」を独唱。愛知万博でもソロコンサートを開いた。名古屋を本拠地に全国で公演している▼「命」を下垣さんはコンサートのテーマに掲げる。一九四五年八月九日、長崎。故永井隆博士(雲南市出身)宅で下宿しながら医学を学んでいた叔父が原爆に。瀕死(ひんし)の状態で島根の実家までたどり着き、命尽きた。十八歳だった。永井博士がモデルの「長崎の鐘」は生涯の歌となった▼「古里のためにできることがあれば」と下垣さん。五月末、永井博士が生まれた松江で初めて舞台に立った。バックに浮かぶ「平和を」の文字。彼女の実家に掛かっていた永井博士直筆の色紙を拡大したものだ。歌の合間、穏やかな口調で語りかけた▼「島国・日本。その根っこにあるから島根。日本の根っこにある精神文化を大切に守り続けなければならない」。これが二人共通のメッセージだ。(瑛)
   
     
  2005年5月29日 中国新聞
 
  〜平和への願いを歌う〜
  「平和への願いを歌で伝えたい」。松江市の市総合センターでリサイタルを開いた浜田市出身のソプラノ歌手、下垣真希さん=名古屋市=は思いを語る。
両親とも島根県出身で、国内を中心に活動している。県内では初のリサイタルだった。
長崎医大で学び、雲南市出身の永井隆博士の家に下宿していた叔父は、授業中に被爆した。全身をやけどし、故郷の温泉津町まで帰って来た。話をすることもできず、どうやって帰ったか分からないまま、一週間後、十七歳で亡くなった。
後日、永井博士から「平和を」の書が送られた。「両親に叔父の話を聞いて育った。島根は平和の象徴だと思う」と言い、「長崎の鐘」などの曲で、平和や命の尊さを訴える。
   
     
  2005年5月28日 山陰中央新報
 
  〜浜田出身のソプラノ歌手 下垣さん県庁訪問〜
  浜田市出身でソプラノ歌手の下垣真希さん=名古屋市在住=が二十七日、コンサート出演のため松江市を訪れ、松尾秀孝副知事を表敬訪問した。
下垣さんは、叔父が長崎の原爆で亡くなった経験などから、平和についての歌を数多く歌っている。中でも、三刀屋町出身で原爆医療に携わった故・永井隆博士にまつわる「長崎の鐘」を、原爆慰霊祭やリサイタルで披露している。
松尾副知事を訪ねた下垣さんは、永井博士のエピソードを披露しながら「永井博士が生まれた島根こそ、平和の素晴らしさを象徴する場所。コンサートで、平和であることの幸せを感じてほしい」と話していた。
   
     
  2005年5月2日 中日新聞
 
  〜童謡など独唱し平和の尊さ訴え / 東区で下垣さん〜
  東区大幸一の市東文化小劇場で一日、「今こそ平和のうたを」と題したコンサートが催された。同じ建物内の「市民ギャラリー矢田」で開催中の「平和のための戦争資料館展」(中日新聞社共催)の協賛企画。県立芸術大学卒で国際的なソプラノ歌手下垣真希さんが童謡などを独唱し、戦争の愚かさや平和の尊さを訴えた。
下垣さんは「ふるさと」「みかんの花咲く丘」というおなじみの童謡のほか、沖縄戦の悲惨さがつづられた「さとうきび畑」など五曲を熱唱。声量豊かな伸びやかな歌声で、観客を魅了した。
下垣さんは「(終戦の)六十年前、日本の美しい風景がちりばめられた童謡が、失意のどん底だった人々を支えたと思います。六十年前までは『生きたい』と言うことすら許されなかった時代。今はなんて平和で幸福な時代でしょう」と、優しく観客に語りかけていた。
コンサートではこのほか、名古屋大男声合唱団OB有志の合唱や、朗読グループ「なごや高の会」による日本国憲法の朗読なども行われた。
   
     
  2005年4月28日 中国新聞
 
  〜高校生のための未来塾〜
■広島ゆかりの経済人協力 仮想会社経営や討論
  広島県ゆかりの経済人が協力し毎年夏、「次世代を担う高校生のための未来塾」を県内を中心に開くことになった。塾長を務める大竹美喜・アメリカンファミリー生命保険最高顧問=庄原市出身=が二十七日、広島県庁で記者会見し明らかにした。第一弾の今夏は、楽天の三木谷浩史社長ら第一線の経済人や文化人らを講師とする三泊四日の合宿を、庄原市で行う。
リーダー養成を目的とする未来塾は、「日本の次世代リーダー養成塾」(塾長・奥田碩日本経団連会長)の広島版。日本商工会議所の山口信夫会頭=庄原市出身=が名誉塾長で、東映の岡田茂相談役=東広島市出身、牟田泰三広島大学長ら十八人が役員に名を連ねる。
初回となる今夏は八月二十八〜三十一日、庄原市の研修施設で合宿する。参加者は、男女各四十人を募集。応募用紙を県内の全高校に配り、面接や作文で選抜する。
講師陣は、大竹氏や三木谷社長、浜田市出身のソプラノ歌手下垣真希さんら五人。演習では、十人程度のグループで仮想の会社を経営するなど「知的挑戦力」を鍛える。討論を通じコミュニケーション力も磨く。
大竹氏は「多感な時期に学校では得られない体験をすることは、人生設計に大きく影響する」と参加を呼び掛けた。来年以降は、中国四国地方に募集の対象を広げていく考えも示した。
   
     
  2005年4月7日 中日新聞
 
  〜日本の唱歌を下垣さん披露〜
  ソプラノ歌手の下垣真希のコンサート「唱歌deショー」が6日、長久手会場EXPOホールで開かれた。下垣さんが唱歌を披露し来場者はゆったりと耳を傾けた。下垣さんは2000年のドイツ・ハノーバー万博閉幕式でアジア代表として独唱し、金城学院大学の声楽講師を務める。
ショーでは「自然の叡智(えいち)は、自然とともに暮らしていた私たちの祖先に学ぶのが一番」と指摘。「ふるさと」「浜辺の歌」など日本の四季や自然を表現した歌を透明感ある声で歌い上げた。
   
     
  2005年4月7日 読売新聞
 
  〜ハノーバーに続き独唱 歌手の下垣さん〜
  ドイツ・ハノーバー万博で、唱歌を独唱したソプラノ歌手の下垣真希が6日、愛知万博のEXPOホールで、コンサート「唱歌deショー」を開き、「ふるさと」や「みかんの花咲く丘」など11曲を熱唱した。
下垣さんは、万博にちなんだ歌としてプログラムになかったが、オペラ「蝶々夫人」の「ある晴れた日」も披露。パリ万博の際、日本の女優、川上貞奴さんがヨーロッパ公演を行い、それを見たプッチーニが「蝶々夫人」を作ったという。
また、歌の合間のトークでも「浜辺の歌」は3番が削られたことなど、それぞれの歌に関する“秘話”も披露して楽しませた。
下垣さんはドイツ国際ラジオ局でDJとして活躍したこともあり、ハノーバー万博の閉幕式で「さくら」や「花」などを独唱。「愛知万博は変化に富んだパビリオンがそろっており、素晴らしいと思う」と話していた。
   
     
  2005年4月6日 中日新聞
 
  〜ココがイチ押し!! / ソプラノの下垣さん「荒城の月」「さくら」〜
  ドイツ・ハノーバー万博閉会式でアジア代表として日本の歌を独唱したソプラノ歌手によるコンサート。
ピアノの北川美晃さんとフルートのイネ・セイミさんが共演。絶妙の語りとともに、「ふるさと」や「さくら」「荒城の月」などを披露する。
   
     
  2005年3月18日 夕刊フジ
 
  〜下垣真希 戦後60年平和への願い込め「長崎の鐘」歌い続ける〜
  8月6日東京でリサイタル
名古屋を拠点に活動するソプラノ歌手、下垣真希が先祖60年の節目に各地で「平和のコンサート」を行う。
5月27日に出身地・島根県の松江市文化センターほか、8月6日の広島原爆忌には東京・浜離宮朝日ホールでリサイタル「平和への祈り」を開催。一方、地元の「愛・地球博」では4月と9月にソロコンサートも、といった活躍だ。
愛知県立芸大声楽科を80年に卒業後、ドイツ・ケルン国立大に留学し、ドイツ国家声楽教師資格も取得。ドイツ滞在中は現地の国際放送でDJなどもつとめたが、「89年のベルリンの壁崩壊を目の当たりにし、芸術家としての使命感を自覚し、日本の歌をうたいたい」との思いで帰国。
「私程度歌える人は山ほどいるんです」というが、「日本のよさを伝える歌と語りでお客さまを楽しませる。女版“さだまさし”といった感じで応援していただいています」と魅力あるキャラクター。 
聴衆は50‐60歳代が中心だが、リピーターが多く、企業のトップにファンが多いという。
「オリジナルの歌語り『わが心の歌・長崎の鐘』をはじめ、聴く人の心にしみる曲を歌います。長崎の鐘は、長崎医大在学中に被爆した父の弟を歌ったもの。叔父は被爆後に長崎から実家の島根に帰った直後に亡くなった。その存在を通し、平和を訴えています」
   
     
  2005年3月17日 毎日新聞
 
  〜日本の自然や情緒表現〜
  『ソプラノ歌手・下垣さん「会場外でも盛り上げたい」26日にコンサート』
名古屋市在住のソプラノ歌手、下垣真希さんが26日午後2時から、名古屋・伏見の電気文化会館ザ・コンサートホールで「思い出の歌 美しき自然の詩(うた)」tp題したコンサートを開く。愛・地球博(愛知万博)開幕(25日)を記念したパートナーシップ事で日本の自然や情緒を表現した「花」「荒城の月」などを歌う。
下垣さんは愛知県立芸術大学そぐ行後にドイツへ留学し、現地ではラジオ局のディスクジョッキーとして人気を得た。ハノーバー万博では閉幕四季のコンサートに出演し、日本の四季の歌などを披露。愛知万博でも、4月6日と9月26日に長久手会場でソロコンサートを開く。
今回は日本の唱歌や世界の名曲を歌うほか、日本の歌の素晴らしさについて語るという。下垣さんは「日本の歌には自然と共生していく知恵など万博のテーマがたくさん詰まっています。コンサートを通して、万博を会場外でも盛り上げたい」と話している。
   
     
  2005年3月6日 中日新聞
 
  〜通風筒〜
  ◇…岐阜県可児市の花フェスタ記念公園で5日、「みんなで歌おう!花フェスタ 服部克久の音楽畑コンサート」(中日新聞社など主催)が開かれた。
◇…同園で開催中の「花フェスタ2005ぎふ」の関連イベント。作編曲家、音楽プロデューサーの服部さんが、「音楽の自然食」をテーマに企画した。
◇…歌手の渡辺真知子さん、ソプラノ歌手の下垣真希さん、二胡奏者の賈鵬芳(ジャー・パンファン)さんらが、服部さんのピアノとオーケストラの演奏に合わせて計16曲を披露した。花と音楽のぜいたくな共演に、来場者たちの目も心も大満足。
   
     
  2004年12月28日 中日新聞
 
  〜歌手の下垣さん公演収益金寄託〜
  27日、中区の中日新聞社会事業団を訪れ、「社会福祉のために」と、クリスマスコンサートの収益金18万円を年末助け合い運動に寄託した。命と平和への尊さをテーマにコンサートを開いている下垣さんは「愛、平和といった普遍的価値の実現に使ってもらえたら」と話した。
   
     
  2004年8月6日 中日新聞
 
  〜戦争の悲惨さ語り独唱〜
  会場の395席は満席。ドイツ・ハノーバー万博閉幕式で独唱したソプラノ歌手の下垣真希さんが、戦争の悲惨さを次の世代に伝え、生きることに感謝の心を忘れないでほしいとの思いを込め、語りを交えながら独唱した。下垣さんが今年新たに構成したプログラム「琉球の風」では三線、ピアノ、バイオリンをバックに「花〜すべての人の心に花を」などが歌われた。伸びやかな歌声が聴衆を包み、思わず涙ぐむ人も。会場全体が、平和への願いを強めていたようだった。
   
     
  2004年2月22日 中国・中日新聞
 
  〜響け平和の歌声〜
  下垣さんは沖縄の少女の心情をつづった反戦歌「さとうきび畑」や同様など13曲を熱唱し、会場から盛んな拍手を受けた。東西ドイツ統一直前に民衆暴動が起きそうになった時、旧東ドイツ側の著名な指揮者がラジオで平和的な対応を訴え、流血の惨事を免れたエピソードを紹介し「暴力や戦争は憎しみを生むだけ。世界各地で紛争が続いている今、平和について考えて」と呼びかけた。
   
     
  2004年2月7日 日本経済新聞
 
  〜「輝いて万博人」〜
  ドイツのデュッセルドルフで今年6月、愛知万博をPRするトークコンサートを開く。現地の州や市、商工会議所などが開催する「日本デー」の一環。下垣と万博のかかわりは長い。1996年に博覧会国際事務局(BIE)の予備調査弾が名古屋入りした際には、誘致反対派の怒号が飛び交うなかで「ふるさと」を独唱。2000年に開かれたドイツ・ハノーバー万博では、閉幕式にアジア代表として独唱した。「優しい自然にはぐくまれた日本人のもてなしの心」を歌に込め、下垣は8年半の留学生活を送った「第二の故郷」のステージに立つ。
   
     
  音楽現代2004年1月号 批評
 
  下垣の歌唱は、歌唱技術がしっかりしていると共に、彼女の声には独特の説得力がある。殊にビロードのような温かい歌声は、聴衆の心を掴んで離さない。そして、下垣の名人芸的な語りと芝居によって、ドラマとしての方向性を明確にしている。(中略)強い意志に導かれるように、クライマックスの「長崎の鐘」が歌われた。印象的だったのは、聴衆に寄り添うように優しく訴えかける下垣の歌声であり、彼女の姿が聖母のように見えた瞬間でもあった。この種のコンサートで、当夜のコンサートは、なかなか接することのできない高い完成度を持つものであった。
   
     
  音楽の友2003年12月号 批評
 
  淀みない語り、透明でリリックな声を、はちまん正人のダイナミックな編曲とピアノに乗せ、一体のメッセージとして伝える手法には、かつての留学先ドイツの伝統的な音楽寄席「カバレット」の影響も窺える。(中略)時間を追ううち、内容も重みを増す。「長崎の鐘」のモデルで、同じく原爆の犠牲となった下垣の叔父の師でもあった永井隆博士の揮毫『平和を』が映し出された舞台で、古関裕而を歌う幕切れには、有無を言わせぬ説得力があった。
   
     
  2003年12月9日 毎日新聞
 
  〜平和を私のおしゃべりと歌で〜
  声楽を学ぶため、81年から90年まで旧西ドイツに留学。ベルリンの壁の崩壊を目の当たりにした。旧東ドイツでは民衆の暴動が起きそうになったとき、著名な指揮者が「平和的な対話を」とラジオで訴え、流血の惨事を免れた。「音楽を通して、平和や愛のメッセージを発信できるんだ、と感動しました」。叔父(当時18歳)が長崎で被爆して亡くなった。「長崎の鐘」で知られる永井隆博士宅に下宿していた。いま改めて永井博士の心を音楽に託せないかと、ドイツで政治が日常的に語られている様子なども織り交ぜて、ひとり歌芝居の台本を書き上げた。「人は許し合うことでしか、憎しみの連鎖は絶てない」(中略)「平和をテーマにしたミニコンサートを各地で聞きたい」。
   
     
  2003年11月24日 長崎新聞
 
  〜平和への祈りを込め歌芝居〜
  名古屋市在住の国際的なソプラノ歌手、下垣真希さんのリサイタル「ひとり歌芝居『メモリアル・ソング』」がこのほど、東京・紀尾井町の紀尾井ホールであった。「長崎の鐘」など平和への祈りを込めた歌の数々と巧みな芝居で魅了した。下垣さんは「世界の各地で今も紛争が続き、心が痛む。暴力で紛争は解決できない。21世紀にふさわしい平和のメッセージを伝えたかった」と話した。
   
     
  2003年10月24日 毎日新聞
 
  〜平和訴え「ひとり歌芝居」〜
  テロと戦争のない平和な世界をどう築くか一緒に考えましょう…下垣真希さんが平和をテーマに歌と芝居と語りで構成したユニークな「ひとり歌芝居」を始めた。下垣さんは「憎しみの連鎖から平和は生まれない。いま一度、平和への祈りの大切さを訴えたい」と話している。
   
     
  2003年10月12日 産経新聞
 
  〜ソプラノの下垣真希が26日に公演〜
  下垣は愛知県立芸術大学を卒業後、ケルン国立音楽大学に留学。帰国後、楽劇「堕ちたる天女」(山田耕筰作曲)のタイトルロールを演じたり、アジア代表としてハノーヴァー万博閉幕式のコンサートに出演するなど内外で活躍している。
   
     
  2003年9月13日 東京新聞 コラム
 
  『〜メモリアル・ソング〜平和・命・歌 憎しみの連鎖の今「祈りの長崎」発言』
  原爆によって自分の健康も愛する妻も失い、それでも人を憎むのではなく許すこと、自分自身のように人を愛することを説き続けた永井隆先生のメッセージは、多くの方の共感を呼びました。アメリカの同時多発テロ以降、血で地を洗う憎しみの連鎖の中にある今こそ、「祈りの長崎」のメッセージを東京からも発信したいものです。ひとり歌芝居『メモリアル・ソング』は瀕死の床で永井先生が仰向けになり書いた「平和を」の書から始ります。命への讃歌、平和への祈りをこめたこの作品を、一人でも多くの方にご覧いただければ幸いです。
  (2003.10.26 紀尾井ホール 平和への賛歌「メモリアル・ソング」ソプラノ・リサイタル)
   
     
  2003年8月26日 中日新聞
 
  〜子に伝えたい心の歌 名古屋でコンサート〜
  2005年愛・地球博にちなんだイベントで、前回ドイツ・ハノーバー万博に出演したソプラノ歌手下垣真希さんが出演。楽しいおしゃべりを交えながら「ふるさと」「やしの実」などの童謡や、オペラ曲「私の大好きなお父様」など次々と歌った。
   
     
  2003年8月20日 岐阜新聞
 
  〜平和を伝える役目が使命〜
  「歌を通じて平和や命の尊さ、人生の素晴らしさを伝えたい」(東西ドイツ)統一の中心には音楽家たちもいた。 “音楽家は普遍的な平和のメッセンジャー” との思いを胸に帰国したという。「憎しみから平和は生まれてない」。その後の米中枢同時テロとイラク戦争で思いを強くしている。
   
     
  2003年1月15日 山陰中央新報
 
  〜島根で平和願う歌を〜
  下垣さんの父親(故人)は温泉津町の出身で、兵庫県などでへき地医療に携わっていた。自身は母親の実家の浜田市で生まれ、父親の転勤ですぐに岐阜県の下呂町に移った。(中略)長崎医大(現長崎大)で学んだ叔父は、同じ島根県出身の円で永井博士の家出下宿していたが、1945年8月9日に被爆。命かがらが故郷に戻ったものの、顔中焼けて腫れ上がり、鏡を見ながら口におかゆを流し込むなどして最後まで生きる努力をしたが、数日後亡くなったという。「叔父の死、そして白血病に侵されながらもユーモアを忘れず、二人の子どもに接した永井博士の思いを伝えなければ」。下垣さんは使命感に駆られ、昨年、長崎大で開かれた原爆慰霊祭やリサイタルなどで平和への願いを込めて「長崎の鐘」を歌っている。「じゃぽねすく」は長崎の永井隆記念館に保管され、永井博士の命日や原爆記念日には館内で流される。
   
     
  2003年1月 千種法人会誌巻頭インタビュー
 
  「メモリアル・ソング」は下垣真希さんの2時間におよぶ “平和へのメッセージ” でした。エンディングの「長崎の鐘」を歌い終えるとホールに長崎天主堂の鐘の音が響き渡り、一瞬の静寂の後、すすり泣きのもれていた会場は感動の拍手の嵐につつまれました。
   
     
  「音楽の友」2003年1月号
 
  ソプラノの下垣真希はリサイタルや多くのトークコンサートを通じて、クラシック音楽を広く紹介する活動を展開している。巧みな語りや芝居による背景が歌の存在感の奥行きを増し、聴衆への浸透力が高まっていた。はっきりとした発声と、温かみのある声質、広い音域で安定した響をもち、それが幅の広い音楽表現に生きている。歌への情熱がさらに強く伝わり、聴き応えのある場を演出した。エピローグでは<長崎の鐘>を原爆に関する思いと共に披露し、その重みが十分に伝わった。
   
     
  2002年8月10日 毎日新聞
 
  〜平和祈り「献歌」〜
  「平和はあたりまえにあるものではない。違いを認め、許しあい、努力することで作りあげるもの」と下垣さんは言う。鐘の音とパイプオルガンの演奏で始まり、シューベルトの「アベ・マリア」とフォーレの「レクイエム」を織り込んだ下垣さん独自の「長崎の鐘」が、講堂に響き渡った。
   
   
  2002年8月9日 中日新聞
 
  〜長崎原爆慰霊祭での「長崎の鐘」献歌〜
  「博士が訴えた平和な社会実現のための祈りと希望を歌に託したい」という下垣さんの願いは歌声に乗り、永井博士が愛した長崎・浦上の丘に響き渡った。
   
     
  2002年8月1日 中日新聞 コラム(物見櫓)
 
  〜祈りの歌「長崎の鐘」〜
  「新しき 朝の光のさしそむる 荒野に響け 長崎の鐘」と短歌集「新しき朝」にあるように、悲しみから立ち上がり平和な社会をつくりたいという祈りの象徴が、長崎の鐘であったことを21世紀の今も忘れてはならないでしょう。18歳という若さで長崎の原爆に倒れた私の叔父が、永井先生のお宅に下宿していたご縁で、家には先生直筆の額がかかっていました。瀕死の床で仰向けになり、渾身の力を振り絞って書かれた「平和を」という三文字。先生の命のメッセージを、私なりに伝えたいと昨年、「長崎の鐘」を吹き込みましたが、このCD「じゃぽねすく」が完成した日はくしくも、永井先生の50年目の命日でした。歌の町・長崎で、永井先生の平和への祈りを「長崎の鐘」に託し、心を込めて歌いたいと思います。
   
     
  2001年8月9日 中日新聞 (中日春秋)
 
  長崎市の永井隆記念館の保管品に、新たに一枚のCDが加わった。ソプラノ歌手・下垣真希さんの「じゃぽねすく」。永井博士の家に下宿していた父の弟も被爆者だった。ふるさとに戻って数日後、力尽きて18年の短い生涯を閉じたという。彼女は祈るように「長崎の鐘」を歌ったのだった。「怒りの広島」「祈りの長崎」という原爆のイメージがある。その「祈り」の発信源に永井博士がいる。妻を失い、自ら白血病に倒れ、畳二畳の家で子供に看護されながら、「己の如く人を愛せ」と説いたキリスト者。「長崎の鐘」の原点となる博士の手記が「長崎の鐘」だった。「ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえ」。
   
     
  2001年8月9日 東京新聞 コラム
 
  「長崎の鐘」は特別に思い入れをもって録音(21世紀に伝えたい日本の歌をCD化)深い悲しみから立ち上がり、平和を訴え続けられた(永井)先生の思いを、私なりに少しでも伝えることが出来ればと、何度も何度も編曲しなおしてもらいました。平和への道は、私たち一人一人が罪深い人間であることを認め、憎しみの心を絶つことから始ると考え、教会の鐘の音と礼拝堂の荘厳なパイプオルガンを生かしたアレンジで、祈るように、しかし平和への熱い願いをこめて歌いました。長崎市長の計らいで、CD「じゃぽねすく」は永井先生の記念館で保管され、原爆の日や先生の命日に館内で放送していただけるそうです。音楽で世界がかえられるわけではありません。けれど多くの方から反響を頂き、人々の心にわずかながらでも愛や希望を伝えられること、この歌は私に教えてくれました。
   
     
  2001年6月12日 中日新聞 (中日春秋)
 
  先日聞いたCD「じゃぽねすく」の歌声が、頭の片隅で響き始めた。山や川で遊んだ記憶がCDにも詰まっている。日本の歌の風景が鮮やかに浮かび上がり、古里の自然や父母のやさしさを思い出させてくれる。昨年10月、ドイツ・ハノーバー博の閉会式でアジアの代表曲として発表して反響を呼んだ組曲、「日本の四季」を含め全11曲。だれもが知っている歌だが、豊かで柔らかな下垣さんの歌唄に浸るうち心が安らかになってくる。
   
     
  2001年3月24日 読売新聞 紙上座談会
 
  〜日本人の感性訴えよう〜
  日本人らしさや日本人の感性を伝え、人間性あふれる万博を是非提案したいですね。万博を通して、若い世代に感動や戸惑い、プラス・マイナスを含めて風が起きて、感性が磨かれることを願ってしいます。アジアの国々が、人間らしい生活、自然とともに生きていくことを失わないで豊かになることをみつける万博であってほしいですね。
   
     
  心の語録 東京新聞
 
  声は神様からの贈り物です。感謝して歌い続けなさい。(歌に生き詰まり悩んでいる私に、世界的なテノール歌手のドミンゴ氏が語ってくれた言葉)〜ソプラノ歌手 下垣真希〜
   
     
  2000年10月27日 中日新聞
 
  「世界は一つ 融和の歌声」(ドイツ・ハノーバー万博閉幕式での独唱を前に)
 


舞台は今世紀最後の万博の幕切れ。(中略)「和風と西洋的なものを折衷させた。すべてが融合、世界は一つ。」屈託ない笑顔に、世界中の数々の舞台を踏んできた余裕がうかがえる。

「人間が心豊かに生きる知恵を出し合ったのがハノーバー。愛知はそれをバトンタッチし、自然とのかかわりやアジアの優しさを加えられれば」。その思いを込めて、一人で歌うステージはすぐそこだ。
   
     
  2000年7月14日 オストゼーツァイトゥング(東部ドイツ最大紙)新聞
 
  下垣真希は非凡な声の芸術を披露した。ベルカント唱法による彼女の温かい音色が。聴衆に感動を与えたのは、長々と続いた熱狂的な拍手で明らかだった。
   
     
  「音楽の友」2000年1月号
 
  練られた声と明確な発音に支えられ、なかなか聴きごたえのあるドラマティックな空間を創出。ひとりオペラは下垣の明るいキャラクターが、楽天的に見えながら、悩みを抱える当世OL物語を楽しませた。
   
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